昭和時代の丸亀城                                 

 明治後期より昭和中期までの丸亀城周辺の地図です。時代の変遷と共に、街の形態の変化がよく判ります。丸亀市全体の地図をご覧になるには、各地図下部のこちらをクリックして下さい。PDF形式で収録してあります。少し重たいDataですが、ズームツールで、拡大すると、詳細がご覧になれます。


 
 国土地理院 地図・航空写真 Data
    最近のWebによるData公開が進んでおります。
   (最近の映像ではありませんが!鳥の気分になってご覧下さい。)


 現在の地図 [国土地理院から]
    ・2万5千分1地形図名:丸亀
 

 航空写真 [空中写真サービストップページから]
    ・丸亀城周辺航空写真(平成9年[1997]4月撮影 1/30,000)

 航空写真 [国土情報ウェブマッピングシステム(試作版)から]
    ・丸亀城周辺の航空写真(昭和55年[1980]撮影)
    ・丸亀城周辺の航空写真(昭和49年[1974]撮影)
 


 昭和32年(1957)頃の丸亀城周辺 (全体地図はこちら [PDF形式 990KB] )
   ・市役所は昭和39年に現庁舎が完成(昭和39年)するまで幸町にありました。
   ・現在の県道33号線は当時国道11号線で、これに沿って琴平参宮電鉄の電車が坂出・琴平まで走っておりました。



 昭和8年(1933)頃の丸亀城周辺 (全体地図はこちら [PDF形式 654KB] )
  ・黒太線で表示されているのは当時の国道23号線。
  ・琴平参宮電鉄の電車は坂出・琴平まで走っておりました。
  ・香川県丸亀商業学校(現丸亀城西高校)は現在の場所(津森町)に昭和7年移転
  ・丸亀城二の丸には水道配水池が設置されていました(平成4年撤去)。



 大正15年(1926)頃の丸亀城周辺 (全体地図はこちら [PDF形式 808KB] )
  ・大正15年 丸亀城内の一部と内堀が国から払い下げられ、亀山公園として市民に開放。
  ・香川県丸亀市立商業学校(現丸亀城西高校)は当時幸町の市役所前にありました。
  ・琴平参宮電鉄は丸亀が起点で、坂出方面にはまだ延びておりませんでした。



 明治32年(1899)当時の丸亀城周辺 (全体地図はこちら [PDF形式 626KB] )
  ・当時市役所は現在の浜町と通町との交差点付近にありました。
  ・外堀西・南部の地区は農地が広がっており、現在との違いを感じます。






 丸亀城内の施設は、時代と共に多少変化しましたが、市民が毎日眺める丸亀城は変わらぬ姿を見せてくれています。逆に本丸から眺める市内の様子は、大きく様変わりしています。


 映画「なつかしき笛や太鼓」のクライマックスの場面は、昭和42年に、城内にあった
バレーコートなどで撮影されました。現在と異なる丸亀城の様子を知ることができます。


バレコート観覧席(現在の資料館前)からの天守


現在の資料館前芝生広場はこのようなバレーコートや建物がありました。


老朽化が進む御殿表門、長屋。この後昭和43年に現在の姿に改修された。


大手一の門(昭和38年に解体修理完成)


本丸から望む瀬戸内海。海岸には塩田がまだ見られる。




 二の丸より望む市街地、撮影年は東中に昭和28年に完成したドーム型丸亀市立体育館が写っていないことからこれ以前と思われます。下の現在写真と較べてご覧下さい。


         本丸より望む市街地(平成16年5月)



 1969年(昭和44年)に発刊された市制70周年の記念誌表紙。現在の城内の市立資料館(昭和47年完成)のあたりは、テニスコート・バレーコートでした。
 

 昭和44年(1969)現在のNTTより望む丸亀城。



 昭和35年(1960)、現在の資料館前より眺める丸亀城の姿は今と全く変わりません。ここに写っているのは、一クラスの児童。現在と違って、その数なんと55人。これを一人の先生が教えていたのです。