仁尾伝統紹介   仁尾竜まつり        8月第一土曜日

 三豊市仁尾町は歴史ある街ですので、伝統ある祭や伝統有形文化財などが多数保存継承されています。、毎年8月第一土曜日に開催されている”仁尾竜まつり”の紹介です。200年以上前に始まったと言われる、この神事は、昭和14年以後途絶えていましたが、昭和63年瀬戸大橋博覧会への出場を機に、地域の伝統民族行事を継承しようと”仁尾竜まつり”として開催が始まり、平成23年で第24回となりました。

 青竹と稲わらで作られた竜は、全長35m・重さ3tの雨乞い竜は150名の担き手により、「そーれ水あぶせ、竜に水あぶせ」の掛け声のもと、観衆より勢いよく水がかけられる中、雄大にまつり会場を舞いました。



仁尾雨乞い竜の由来

 高温少雨の瀬戸内海気候の仁尾は古くから旱魃に悩まされてきたが、有史以来数え切れない日照りの中で、寛政11年(1799)の夏はまれにみる干天続きであった。溜め池の水は枯れ、井戸の水も底をつき、稲は今にも枯れかかろうとしていた。
 百姓達にできることは、もはやただ神仏に祈るだけであった。毎夜、山の頂上では、藁や木を燃やして竜王神に祈る古いしきたりの雨乞いの神事が行われ、空を赤く染めていた。しかし、いくら祈っても天に通ぜず日照りは続いた。

 困り果てた百姓たちは、笠岡村(現豊中町)の行者和蔵に相談した。和蔵は全国各地を巡り歩いて修行した偉い修行僧で、中でも雨乞いにかけての霊験は広く知られていた。和蔵は百姓たちに、「藁で大きな竜を作り、それに伊予の黒蔵渕 (くろぞうぶち)から汲んできた水を掛けて祈ればよい。」と教えた。

 百姓達は早速、八幡様の境内にある雨の宮神社の前に集まってそれぞれが持ちよった麦藁で全長15問(27メートル)もある大きな竜を作った。一方、黒蔵渕からの水運びも大変であった。黒蔵渕というのは、伊予川之江の奥の院(仙竜寺)から、更に2里(8キロメートル)も山奥に入った銅山川の支流にある大きな渕で、雄渕・雌渕の2つからなっている。この渕は、古くから竜が棲むといわれ青緑色の水を満々とたたえ、周囲はうっそうと杉木立に囲まれている。

 仁尾を夜中に発った若者は、十里の道を必死に駆け朝方に黒蔵渕に着いた。早速、その土地の神主に頼んで水汲みの神事を行い、一斗樽に水を一杯に入れて帰途についた。
 若者達は、腰にしめなわをつけ、数人が一組となって代わるがわる樽を担いで休みなく走った。途中で止まるとそこに雨が降るというのである。2里程走ると次の組が待ち受けリレー式に引き継ぎひたすら仁尾を目指して走り続けた。堀切峠を越え川之江・豊浜・観音寺を通り昼過ぎ仁尾に辿り着いた。

 和蔵は、早速その水を藁の竜にお供えした。そして百姓たちは大きな竜を担ぎ、口々に「竜に水浴ぶせ、竜に水浴ぶせ。」と叫びながら村中をかけ巡った。村人たちは家の前で手桶に水を一杯入れて待ち構え、竜が通ると水を浴びせた。そして百姓たちは最後に父母浜から海に流した。
 その間和蔵は、雨の宮神社の前でひたすら祈り続けた。すると不思議なことにその夜妙見山に大きな黒い雲がもくもくと現れ、雷光とともに、やがて大粒の雨が降り百姓たちは歓喜の声をあげた。

 それ以来、仁尾では大干魅の度に大きな藁の竜を作り村中を練り歩く神事が行われるようになったといわれる。そして、和蔵も雨乞い行者としてさらに西讃岐一帯に知られるようになった。また、仁尾から比地(現豊中町比地)へ山越えする鞍掛峠(くらかけとうげ)は和蔵が開いたといわれている。
 そして、峠の旧道沿いには、和蔵みずからが建立した日本廻国供養塔が今も残されており、仁尾との深い関係がしのばれる。
                 
 さて、讃岐には「竜王さん」と呼ばれる山が幾つもあり、そこには小さな祠(ほこら)のなかに「竜王宮」が祀られている。いずれも雨乞いを祈った所である。その両には、干魅の被害に悩まされつづけ、ある時には血をみる争いまでおこしてきた先人の悲痛なまでの願いがこもっている。仁尾の雨乞い竜にも、百姓たちの水を求める切なる願いと苦悩を感ぜずにはいられない。

 仁尾町では寛政11年以来昭和14年まで140年間大干魅の度に藁で作った竜による雨乞神事が行われていたが、その後の社会事情の変動によりこの神事も途絶えていた。その後昭和63年、瀬戸大橋博覧会が開催された時、この仁尾雨乞い竜が50年ぶりに博覧会のイベントとして復活出場した。それを契機として“仁尾竜まつり”を開催し、永く伝統民族行事として伝承していく事になった。
仁尾町発行:仁尾雨乞い竜 パンフレットより

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