京極高次・お初(常高院)関係略年表           15,11,10 於丸亀市  講演会

年号 西暦 歴史事項 高次関係 お初(常高院)関係
永禄6 1563   高次、小谷城内京極丸にて生まれる(父は高吉、母は浅井長政の姉、お慶)幼少して信長の元に人質にやられる  
永禄11 1568     お初、小谷城にて生まれる(父は浅井長政、母はお市の方)
元亀1 l570 姉川の戦い    
天正1 1573 小谷城落城   お初の父長政死す茶々、初、江の三姉妹は、母お市とともに、借長の弟、信包の居城、伊勢上野城に引き.取られる
  高次11歳、信長より、近江奥島に五千石あたえられ、成人後の本領安堵を約束さる  
天正10 1582 本能寺の変 高次、明智光秀に加担したため、秀音に追われ、姉(竜子)の嫁ぎ先の若狭武田元明をたより、さらに柴田勝家のもとへ お初16歳、三姉妹は母と共に、越前柴田勝家のもとへ
天正11 1583 嬢ガ岳の戦い 高次、放浪の身となる 勝家、お市死す三姉妹は秀吉に引き取られる
天正12 1584   姉竜子が秀吉の側室となり、高次許されて近江高島那に二千五百石をあたえられ、さらに五千石に加増  
天正15     近江大津城一万石を与えられる
秀吉の命令で、高次(25歳)お初(20歳)をめとる
天正18 1590   近江八幡山.に二万八千石をあたえらる
文禄4 1595   大津六万石をあたえらる
慶長3 1598 秀吉死す    
慶長6 L 600 関が原の戦い 高次夫妻 東軍に組し、大津城に龍城して西軍1万5千の兵を足止めにした
  11月、高次 家康より若狭八万五千石を与えられ、小浜へ
慶長6 1601   高次 後瀬山城を廃し、海辺に小浜城築城を始める
慶長12 1607   小浜の町割りを行い、町域を拡大す
慶長14 1609   高次没す(47歳) 忠高(17歳)江戸より小浜に帰り、領主となる
お初(42歳)出家して以後、常高院と称す
慶長19 1614 大阪冬の陣   常高院 家康の命を受け、和義の交渉にあたる
元和1 16l5 大阪夏の陣 大阪城落城(5月)淀殿(49歳)秀頼(23歳)没す忠高 徳川方の先陣をつとめる
寛永6 1629 高次の次男 高攻没す(28歳)(小浜 高成寺に基あり)
寛永7 1630 忠満室 初姫 江戸にて没す(28歳)
  常高院 小浜に寺建立を発願
寛永10 1633   常高院 江戸にて没す
寛永11 1634 忠高 松江二十六万四千石に移封  

   京極・浅井関係略系図

   

 

 「--栄昌尼公常高院、雲浜城(小浜城)西の丸に栖休す。歳あり、又武江(江戸)に束遊して過大将軍秀忠卿、
家光公に会謁す。和睦偽謀の事を語りて、半ば恨み、半ば欣ぶ−−」(常高寺開基伝)

 「実にこの世においては、恨みに報いるに恨みをもってしたならば、ついに恨みのやむことがない。恨みを捨て
てこそやむ。これは永遠の真理である」(法句経より)