「婆娑羅」とは
今年も、8月25日・26日に「まるがめ婆裟羅まつり」が開催されます。人が集まるような個性的で継続性のあるイベントを行い、多くの人に元気都市丸亀の新しいイメージを浸透してもらうため生まれた「まるがめ婆娑羅まつり」は今年で2年目になります。昨年はダンスパフォーマンスが盛大に繰り広げられましたが、今年はどんなお集りになるのか非常に楽しみです。 そこで、丸亀市立資料館はこの「婆裟羅」そして丸亀京極家の偉大な祖先であります「京極道誉」(きょうごくどうよ)について検証していきたいと考え、このパネル展示を行います。まず、「婆娑羅(ぱさら)」の意味を確認してみましょう。
岩波書店「広辞苑」によれば、(「跋折羅(ばざら)」から。室町時代の流行語)
    @はでにみえを張ること。だて。
    A遠慮なく振舞うこと。しどけないこと。みだれること。狼藉。 とあります。ばざら[縛日羅・跋折羅・伐折羅] (梵語 Vajra)金剛のこと。
 また、三省堂「大辞林」によれば、 ばさら[婆娑羅]〔「ばしゃら」「ばしゃれ」とも〕華美で派手な服装をしたり、勝手気ままな振る舞いをすること。また、そのような行い。 とあります。
「ばさら」という言葉は、その根拠である「太平紀」に3か所登場します。
 1.(妙法院焼き打ち事件・暦応3年(1340)10月・巻21)
このころ殊に時を得て、栄躍人の目を驚かしける佐々木佐渡判官入道々誉の一族若党ども、例のばさらに風流尽して、西山・東山の路の紅葉を見て帰りけるが、妙法院の御所の前を打ち過ぎるとて、跡にさがりたる下人どもに、青島の紅葉の技をぞ折らせける。
 2.(天竜寺の事・巻24)
武家の輩、かくのごとく諸国を押領する事も、軍用を支へむ為ならば、せめては力なき折節なれば、心を遣る方も有るべきにそぞろなるばさらに耽て、身には五色を粧ひ、食には八珍を尽し、茶会洒妻にそこはくの費を肝傾城田楽に無暮の財を与しかば、国費人疲れて、飢饉・疫癘(えきれい)・盗賊・兵乱止時なし。
3.(北野参詣人政道雑談の事・巻35)
それ政道のために讎(あだ)なるものは無礼、邪欲、大酒、遊宴、ばさら、傾城、(けいせい)、双六、博奕(ばくえき)、強縁、さては不直の奉行なり。
 文中の「ばさら」の意味は、それぞれ下記の意味となります。
  1.服飾に贅を尽くすこと  
  2.何という贅沢

  3.時のはやりの姿の意であるが、特に服飾に贅沢を極めること

 婆娑羅大名は京極道誉に特定できませんが、最もスケールが大きく婆娑羅大名の雄といえば「京極道誉」を指すと評されています。道誉の熱心な研究家であり、その理解者である元甲良町長である上川正雄氏は、「彼を一般人は、ばさら大名とか、横紙破りなどと称して一概に無軌道で横着な人物であるように思っているが、道誉公は決して俗にいわれているような、無節繰な人物ではない。きわめて教養の高い文化人であって知性、理性共にすぐれた博識着であったことは、たしなんだ詩歌によって明らかである。殊にその晩年、公の嫡子高秀が画家に描かせた公の肖像画に、道誉公が自讃している詩文は、その高潔な全人格を彷彿せしめ、その素養の深さを偲ばせるものがある。」と絶賛しています
 丸亀市では、「婆娑羅」を古い殻に縛られず、進取の気風とともに文化的にも優れている意味として捉え、新世紀にふさわしいまちづくりの方向を示す言葉として使っています。      
丸亀市立資料館「婆娑羅大名・京極道誉」パネル展 資料より